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くたじゃ報 14号

松島玉三郎の音楽って何だ?

 松島玉三郎 (2000年10月発行)
 

今回は「くたじゃ報」の原点に立ち返って、「音楽そのもの」
のことを、一緒に考えてみよう。
音楽って何だ?音楽の持つ力とは何だ。
音楽が力を持っていることは、我々は漠然と知っている。
では、いつ、どのように、力は発揮されるのか? = さまざまだ。
私が、音楽の仕事に携わってみて実感した、一番偉大なことは
「音楽(おもにポップス)は、その制作者の意図とは
直接関係ない形でも、誰かを救う」ということだ。
ホントか?次の二つの例は、決してその答えではないが、ヒントである。

     <その1>

86年か87年頃のことだと思う。私は民族音楽のいろいろなタイコを
習っていて、いろいろな音楽家に会ったが、ついでにいろいろと
へんてこりんな人々に出会っていた。

当時知り合った、鎌倉近郊在住の、ややヒッピーぽい人からある日電話がかかってきた。
「知り合いの面白い先生が、なかなか意義のあるパフォーマンスを
やるんだけど、その場でタイコたたいてくれないかなあ・・」
その先生は、湘南方面で、自閉症の子どもを相手に先生をしている人で
あるらしい。子どもたちと、牛乳の紙パックを漉いて、再生紙を作り、
昔懐かしい写植文字をひろって、その紙にみんなで作った詩を
打って、本を作ったりしているとのことだ。

JR藤沢駅の駅前に作られた「サンパール広場」という駅前広場が、
道交法の締め付けによって何のパフォーマンスもできない広場に
なりつつある事に対して、その先生は異議申立てをするのだった。
その異議申立てとは、次のようなものだ。
子どもたちといっしょに拾い集めた、ジュース・コーヒー・ビール
のつぶれた空き缶たち。それらは、それぞれに愛嬌のある表情がある。
それらをひとつずつビニールパックに入れて広場に並べ、
通行人に鑑賞してもらう。先生本人は無数の空き缶でつくった
服を着て(缶胴衣−カントウイと呼んでいた)、みんなでつくった
再生紙の短歌本を配るのだ。そのBGMにタイコの音が欲しいとの事。
当初は「空き缶をたたく」という予定だったが、
しまいには空き缶を含むいろいろなタイコをたたくことになった。
独自なエコロジーイベントでありレジスタンスだった。

さて、当日は10月10日であった。本番は10時10分10秒からだった。
先生は人脈が広く、本番前から、鎌倉・湘南地区の作家、画家、
陶芸家らが励ましに集まっていた(このエリアは昔から文化人の
ネットワークが強靭だ)。もちろん自閉症の子どもたちもたくさん来ていた。
パフォーマンスは始まった。
広場に陳列された空き缶たち、短歌本を配るカンを着たおじさん。
へんてこではあるが、忙しい通行人にはいささか地味な風景。
しかし私が空き缶やタイコの演奏を始めると、とたん
「なんだなんだ」という感じになった。
共演者もまったくいないタイコの独演。それなりに楽しみながらやった。
すると、それまでおそるおそる見ていた自閉症の子どもたちの
様子が豹変!目が輝き出し、どんどんと嬉しそうな表情になり、
ついには踊り出したり、叫んだりし始めた。ではないか!

これはもちろんタイコがそうさせたのであった!
音楽とは、こんなにパワーのあるものなのか!
今までちゃんとしたライブ会場で演奏したどんなときよりも
ヴィヴィッドな反応であった。
目の前で展開する、音楽のなせる力に、自ら驚いた。

世の中には、目の前で楽器が鳴るのを実際に見たことのない
人もたくさんいるのだ。予備知識ない状態で聴かれる音楽の
なんと炸裂的なことか。(世の大部分のコンサートは、悲しいかな、
熱心な聴衆のあらかじめ予習されたシミュレーションなのだろう)

音が鳴り、にぎやかしくなると、ついにおまわりさんが
パフォーマンスを注意しにやってきた。
先生は、堂々対応した。そうですか、いけないんですか、こういうことは。
「でもそれじゃサンパール広場でなく、サンパール通路と、名を変えたほうがいいですよ」と。

いかし、おまわりさんたちは、楽しそうに踊り歌う子どもたちを
前にして、それ以上は強く言えなくなってしまったのだ。
(子どもたちは自らタイコをたたき始めていた)

先生は言った。「松島さんのおかげですよ」
私は言った。「呼んでいただいたおかげですよ。音楽はスゴいんだ」

     <その2>
  人生の豊穣について・ショート版
(98年に「ミニコミくたじゃ」に発表した文章の再録。筆者が在籍する
ロックバンド・スリーニップルズ・オン・ハー・ハンドのライブ会場で無料で配られた)

そう、これは私の宿命かもしれないが、私の前には必ず、
ミュージシャンとは違った視点から音楽についての疑問を投げかける人があらわれる。
94年、私はとある放送作家のもとで片腕のように働いていた。
この放送作家からつきつけられた疑問は、その最上級である。

その人は「音楽ビジネス」というものを毛嫌いしていた。その嫌い方は、
ミュージシャンの場合とだいぶちがっていた。要約するとこうなる。

世の中すべての(音楽を含む)芸術や芸能は、本来人間が生きていく
ために必要だからというよりは、人間がやむにやまれぬ気持ちで、
ついやってしまう行いである(この事自体はまったく正しい)。
そのついやってしまう行いについて、それで身をたてようとか、それを
売り買いしてもうけようなどという事は、はなはだあさましい事である。
ゆえにビジネスとしての音楽産業はいかがわしい。
実際いかがわしい業界人ばかりだし、それに騙されまいと少しずつ
悪知恵をつけていくミュージシャンもいかがわしい!

どうです、ミュージシャンは普段しないタイプの考え方でしょう。
でも、馬鹿にできないほど真実を含んでますね!
でも私自身は音楽ビジネスというものは、それなりに必要だと思っている。
(その理由は、前述の通り、どんな音楽も、期せずして人を救うから)
この放送作家は、その後亡くなった。私と彼との論争は、私の死後に
持ちこまれてしまった。

これに関連して思い出すのは、私がバリ島でタイコを習っていた時に
見た人々の姿だ。バリでは、音楽や踊りや絵などをやる人たちは、
昼間は田畑をたがやし、夜芸能にいそしむ。
もちろん共同体の中の祭りと芸術・芸能は密接にむすびついている
のだが、それを行う一人一人が、おのおのの創作の喜びを感じている事は疑いようもなかった。
「生活」と「表現」の蜜月があったのだ!私はうらやましく思った。
亡くなった放送作家も、このような形を望んでいたのだろう。

東京にもどってみれば、「表現」とは分断された「生活」があった。

このバリの話を、知り合いの現代音楽の作曲家と話してみた。
するとその人は、その蜜月は認めるけど、それは「究極のアマチュアリズム」
であって、プロフェッショナルとして表現物を発表していく世界の醍醐味もあるのだと言った。
それもその通りなのだろう。

音楽はある時から「売る」ものになってしまった。
それはいつからかと言うと、友人の学者の宮野義明くんが明確に書いている。
ヨーロッパの歴史では、貴族が没落してパトロン制度が崩壊して、
表現者が自ら金をもうけなければならなくなった時からなのだ。
ヨーロッパ以外のエリアでは、いろいろ地域差および紆余曲折が
あったものの、今おおむねヨーロッパのありようにどこも近づいている。

原点に立ち返れば、おそらく表現者は自らの中のものを表現する
喜びを体験している瞬間は、「売る」ことは考えたりしてないものだ。
どのミュージシャンも「表現」と「生活」の折り合いについて考える
時があると思う。考えるとき、この文でもたった2つ紹介したように、
考え方の基準は、実はいろいろあるのだと思って欲しい、とちょっと願う。

     <オマケ> くたじゃのダンス

  くたじゃはダンスが好きだ
  くたじゃは昼寝も好きだ
  いねむりして 夢を見て 君に会おう
  娘さん 僕と踊ってくれますか?

  寝ているうちに 世の中なんて 変わるものだ
  でもホントに欲しいものは (案外)同じ
  娘さん 僕のおじいさんが よく言ってたよ
  わけがあれば 舟も山を登る

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